日本ゼオライト学会 刊行物 Publication of Japan Zeolite Association

ISSN: 0918–7774
一般社団法人日本ゼオライト学会 Japan Zeolite Association
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Zeolite 30(1): 4-6 (2013)
doi:10.20731/zeoraito.30.1.4

30周年特別寄稿30周年特別寄稿

「ゼオライト研究発表会」の私史

東京工業大学資源化学研究所

発行日:2013年3月7日Published: March 7, 2013
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「ゼオライト学会」の前身である「ゼオライト研究会」が設立されたのは1984年の1月である。2年後の1986年8月に日本で開催される7th International Zeolite conference(7IZC)の受け皿機関として,小泉会長(阪大産研),飯島副会長(東大理),冨永副会長(東大工)の下に設立された。(以降も所属は当時のもの)設立の経緯は小野先生,八嶋先生(東工大理工)の20周年特別寄稿(ゼオライト,Vol. 20, No. 1)に詳しく述べられているが,学会として育てていこうというよりは,7IZCに関する情報の発信源,および実質的な寄付の受け皿としての機能が当時最も重要であった。そんなわけで初年度に行った研究会の主催事業といえるものは,設立総会と記念講演会の開催,および4回のニュースレター発行だけであった。当時の筆者の観察によれば,7IZCと研究会の主な実行部隊は,適切かつセンスのよい方針を打ち出す冨永先生を御輿として担いだ小野先生と八嶋先生であり,当時まだ助教授であったにもかかわらず,車の両輪として強力に実務をこなされていたように見受けられた。

詳しい経緯は忘れたが,当時八嶋研の助手であった筆者は研究発表会を開催してはどうかと提案したところ,趣旨には賛成であるが小野先生も八嶋先生も手一杯であるので,手助けはするが実務は任せるとのことであった。そこで,天然ゼオライトの専門家である歌田實先生(東大総合研究資料館)にも実行委員をお願いし,「第1回ゼオライト研究発表会」を開催することを決め,1985年11月に上智大学で開催する旨を「ゼオライト」Vol. 2, No. 1に予告,No. 2には開催要領(含発表募集要項)を掲載した。当時瀬川先生(上智大理工)は多くの学会の講演会などの世話をされており,その実行力を当てにして実行委員に加わっていただいた。

研究発表会の開催に際し,名前を「ゼオライト研究発表会」とした。他の学会の会期,および発表募集締め切りが時期的に接近しないように,さらに発表形式も特色を持たせることに留意し,開催は11月の下旬,講演は2件の特別講演,総合研究発表,一般研究発表の3種とし,研究発表の時間も他学会より長めに設定した。総合研究発表(成果のある程度まとまっている研究を総合したもの。したがって,既発表の研究成果であっても,それらをまとめたものであればよい。)という発表形式は研究会独特のものと思う。なお,現在も当初定めた多くの点は概ね引き継がれており,会告についてもWeb上での研究発表申し込みになったため変えたところを除くと,筆者の作文が現在までもかなり生き残っているのは,生みの親として何となくうれしい。

図1に第1回から昨年開催の第28回までの開催地,講演数と参加者数(第3回と第18回は不明)を示す。第1回の講演件数は59件,参加者数は240名であった。第1回目にしてはまずまずの結果だと思うが,研究発表も参加者数もできるだけ多くしようと思い,直接的または間接的な依頼であっても,あるいは口頭でのまたは電話での依頼であっても,実行委員は総力をあげて取り組んだと記憶している。さらに,企業からの発表が多いと企業からの参加者が多くなるという因果関係を頼りに,多くの企業に発表を依頼した。お蔭で企業から14件の研究発表があった。参加者が発表件数の割に多いのは,このせいもあったであろう。また,企業からの参加者を多くすることは,ゼオライトに注目してもらえることにつながり,7IZCを盛り上げるためにも重要と考えていた。

Zeolite 30(1): 4-6 (2013)

図1 ゼオライト研究発表会の開催都市,講演件数と参加者数

三角はZMPC開催年,四角はIZC開催年。

第2回は乾先生(京大工)が実行委員を引き受けてくれた。8月に7IZCを開催した直後の11月開催であることから,講演件数は36件,参加者数は88名と激減してしまった。ゼオライト研究会はいわば7IZCを盛り上げるために設立されたという色彩が強く,7IZCを成功裏に終えるに当たってその機能を十分発揮したが,研究発表会まで手が回らなかったというのが実情であったと思う。7IZCの成功により,ゼオライト研究会には70社を超す団体会員,および多くの研究者,技術者が参集したことから,研究会の継続は当然のことという趨勢になった。筆者は,研究会を続けていくためには研究発表会は必須のものであると考え,軌道に乗せるまでは実行委員を努める決心をした。そんなわけで,第3回から第11回を除く第12回まで実行委員を務めた。図1に示すように,第12回での講演件数は約90件,参加者数約は200名に達し,当初の目標が達成できたと思い,これで実行委員を卒業させてもらった。なお,この規模は現在とほぼ同じである。第3回と第4回は連続東京で開催したが,それ以降は現在でも習慣になっているように,地方と東京とで交互に開催している。第18回までに東京では10回開催したが,瀬川先生のお世話で上智大で6回,菊池先生,松方先生(早大理工)のお世話で早大で4回開催した。このような先生方の献身的なサービスもこの研究発表会を定着させるための礎であったことはいうまでもない。なお,第20回以降は6回連続で「タワーホール船堀」である。蛇足かもしれないが,現在までに4回以上実行委員を務めて研究発表会を支えた先生方は,筆者の調べでは瀬川先生,辰巳先生(東大工),山崎先生(早大理工),馬場先生(東工大総理工),小松先生(東工大理),および筆者である。

図1から,大まかな講演件数は11回までは増加し,その後は飽和状態に近づいていくように見える。一方参加者数は,第10回までは地方開催の時には少なくなる傾向があったが,第10回以降ではそのような傾向は見られないし,変動も小さい。ZMPC(1990年はCMPC)開催の影響を見てみると,第22回以降は講演件数,参加者数共に減る傾向にある。一方,IZC開催の影響は,第2回を除きほとんど認められない。

第1回から第10回までの研究発表会では,触媒に関する発表が平均して22.6件,合成に関する発表が8.5件であった。一方,第19回から第28回においては,触媒に関する発表が20.7件,合成に関する発表は34.5件であり,合成に関する研究発表が大幅に増えたことがわかる。(件数は筆者が主観的に数えたものであり,数える人によって異なることは当然あるが,大きくは違わないと思う。)初期の頃とは異なり,メソポーラス材料やゼオライト膜の合成についての研究が盛んになったこともあるが,ゼオライトそのものの合成に関する研究が我が国でも盛んになってきたことを反映しているのだと思う。ちなみに,第9回まではA会場における発表は主に触媒に関するものであったが,第10回からはA会場で合成に関する研究発表が主に行われ,現在でも続けられている。なお,第10回ではまだ触媒に関する発表の方が多かったのに,なぜ触媒がA会場を明け渡したかは記憶にないが,おそらく研究会の将来を見越し,合成を優遇するためであったと思う。

現在研究発表会は三つのパラレルセッションで行われているが,当初は二つのパラレルセッションで行われていた。第9回を除いて,第8回から3セッション制になり,現在に引き継がれている。3セッション制になると当初のプログラム(二段組みで,通常の記事と同様に追い込んで記載)が見にくくなったためか,第11回の「ゼオライト」に掲載するプログラムからは,見開きで3セッションが並行して見られる現在の形になった。なお,第13回から3回はプログラムをカラー台紙に印刷して,その存在をわかりやすくしていたが,プログラムを「ゼオライト」の真ん中のページに据えなければいけないことや経費がかかるためか,それ以降は現在のようになった。

以上「ゼオライト研究発表会」の筆者から見た歴史を,筆者の記憶と会誌から得られるデータを基に述べてきた。71歳という筆者の歳のせいもあり,記憶と思っていることが妄想,あるいは願望であった可能性がある。その場合は歳に免じてご容赦願いたい。本稿がこれからのゼオライト研究発表会の発展に少しでも役に立つのであればありがたいことである。

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