素材・化学系ベンチャーの立ち上げ・運営のリアル
イーセップ株式会社
© 2025 一般社団法人日本ゼオライト学会© 2025 Japan Zeolite Association
本誌の読者は,大学,公的研究機関,あるいは企業に所属する研究者がメインだと思う。ベンチャーやスタートアップなど,所謂「起業」に対しては,相当に意識の高い方を除き,どこか他人事のように縁遠く思われるのではないかと思う。私自身も元々は大学教員を目指していた研究者であり,正直自分が現在このようなベンチャー・スタートアップに関する紹介記事を書こうなど,当時夢にも思わなかった。
最近でこそ日本政府も2022年を「スタートアップ創出元年」と位置付け「スタートアップ育成5か年計画」を策定するなどベンチャーやスタートアップに対する理解や支援が相当に充実してきている。一方で,私が起業した2013年頃は,クラウドやモバイル関連などのIT分野が活況であったが,素材・化学系ベンチャーは少なかった。そのため参考にしたい情報が大幅に不足しており,失敗の連続となった。創業時は一人からのスタートで現在40名を超える会社規模にまでは成長したものの,まだまだ道半ばであり,挑戦と挫折の繰り返しである。今となってはあの時こうしておけば良かった,と思うことも多々あるが,当時の自分の知識量で同じ場面にまた出くわしても,きっと同じ判断・失敗になっていたと思う。逆に,自分が直面する困難を予め知っていれば,もっとスムーズに事業を軌道に乗せられたのではと思う。「勝ちに不思議の勝ちあり,負けに不思議の負けなし」と有名な言葉の通り,負けることには必ず原因や理由がある。
本稿では,恥ずかしげもなく,自身の失敗談を共有する。本来は懇親会などアルコールの入った席でしか話したくない内容であるが,将来もしかすると起業することになるかもしれない研究者の方の一助となることを願って,本原稿を執筆した。研究に行き詰まった際のコーヒーブレイク,あるいは晩酌のつまみ的に気楽にお読みいただければ幸いである。
まず,そもそもなぜ研究者が起業するに至ったかを説明する。その後,起業後の会社成長ステージとしてシード期→アーリー期→ミドル期→レイター期と分類されるのであるが,弊社の場合は投資家によると現在ミドル期と分類されている。それぞれの会社ステージによって求められることが異なるので,私が体験したシード期→アーリー期→ミドル期までの各ステージ毎に分けて,経験を共有する。
私自身は,元々は研究者・技術者であると認識している。領土の奪い合い,資源獲得競争のような誰かが勝って誰かが負けるゼロサム(zero-sum)ではなく,頑張った結果,人類全体がハッピーになるようなことに自身のエネルギーを使いたい。
大学受験に失敗し,期せずして自身の将来についてゆっくり考える時間ができた時にそう考えた。高校現役時代は限られた時間において試験で良い点数を獲得することに注力するあまり,点数獲得に直結しない物事の背景・理由にまでは深入りしなかった。今でこそ化学を専門に取り扱っているが,高校時代は化学の奥深さを理解していなかった。例えば「アンモニア合成」でいうと,ハーバー・ボッシュ法:N2 +3 H2 ⇆ 2 NH3 (鉄触媒,平衡反応で高圧ほどアンモニア生成)。各種反応条件に関する知識と計算問題が解ける程度であった。浪人時代,「アンモニア合成」の社会的背景と化学(科学)の力を改めて認識し,衝撃を受けた。急速な人口増加・食料問題に対応するために窒素肥料の安定供給が必要という社会課題。空気中の窒素からアンモニアを合成して世界中の飢餓を防ぎ,「Bread from air(空気からパンを作る)」とまで称されたアンモニア合成という化学の力。人類の歴史において食糧の奪い合いは多くの紛争や戦争の根本的原因の一つであったが,化学の力で解決できる。化学って凄い! 高校時代まであまり興味を持てていなかった化学に,私は浪人時代に初めて目覚め,そこから猛勉強することになる。
大学に入ってからも,化学に対する勉強「量」だけはトップクラスだったのではと自負している。試験に出ないような背景や教科書に記載されていない行間が気になった。指定教科書だけでは求めている知識が得られないので,一人で図書館に籠って納得できるまで調査した。とは言えそのようなやり方は試験で効率良く点数を獲得する方法とは逆行するので,成績はA(優)・B(良)・C(可)・D(不可)の中でC(ギリギリ合格)と低空飛行であった。大学で良い成績を取るためには先輩からの過去問や講義ノートなどの活用が有効であることは理解していたが,当時は良い点数・成績を取ることよりも,純粋に学ぶ・理解することを重視したかった。成績が悪かったので大学院に進学する際は内部推薦ではなく一般受験となるが,大学入学した頃からの日頃の学業の積み重ねもあり,何とか大学院進学試験では求められている内容での合格ラインを越えることができた。成績があまりにギリギリだったため面接官の先生に「君は学業をサボっていたのか?」と問われ,「同学年の誰よりも勉強した自負はあります」と即答したら苦笑いされた。一生懸命頑張ってこの程度の成績かいな? と劣等生と思われた可能性が高い。成績は悪いが要領の良い同期は「学部時代はサークル活動に力を入れ,行動力や責任感を培いましたが,学業との両立が課題でした。その反省を踏まえ,大学院では研究に専念し,計画的に成果を出せるよう努力します。」云々言っていたそうだ。何はともあれ,地道に努力する姿勢については評価していただけたのか,無事大学院(修士課程)進学となり,研究を続けた。
同期の多くは就職したが,私は化学技術を極めたかったので博士課程に進学した。当時は文部科学省における21世紀COEプログラム,グローバルCOEプログラムが展開されており,博士号=「研究者だけ」という従来観念ではなく,幅広い分野で即戦力となる人材としての「実践的な博士人材」の育成が強調されていた。加えて博士(工学)の学位取得後,所属する学科の助手として教育・研究活動を継続していたが,専攻が応用化学であったため,研究して論文を発表するだけにとどまらず,開発した技術を実際に社会実装・実用化したいという想いが強くなった。私自身は「ゼオライト膜」を中心とした研究開発に従事しており,実用化の観点からは日本の技術が圧倒的に先行しているように思えた。英会話コンプレックスのあった私は本当は海外の研究室に修行に出て,英会話がペラペラになりたいという願望を密かに抱いていた。しかし日本の方が先行している技術の場合は,留学というよりもむしろ技術流出になるのではないか。日本の税金で育った技術であれば,日本の会社で実用化させ,得た利益を税金として社会に還元させるのが筋ではないか。そのように考え,大学助手時代に参画させてもらっていた共同開発事業「規則性ナノ多孔体精密分離膜部材基盤技術の開発(2009年度–2013年度)」に参画していた大手エンジニアリング会社に2010年度から籍を移し,当該技術の実用化を目指した。
大手エンジニアリング会社に移って,新規ゼオライト膜の事業化開発に注力できる環境を整えていただいた。日中は学生指導で自身の研究は夕方から深夜にかけて,といった大学での生活から一転した。日中から開発に従事でき,給与・福利厚生も充実した開発環境は申し分なかった。大学での小規模サンプルから,実用化に向けたスケールアップ開発は順調だった。このままこの会社で新規ゼオライト膜を事業化・社会実装しよう! 革新的技術が開発されれば報われる。当初はそう思って疑わなかったが,すぐに壁にぶち当たることになる。「技術は素晴らしいと思うが,実績はあるのですか?」新しい技術ゆえに,実績が乏しい。実績がないので,採用してもらえない。採用してもらえないので,実績がつかない。実績。実績。実績。開発できても,実際に利用されなければ意味がないじゃないか!
そんな折,普段そこまでビジネス書を読まない技術者でも気になるタイトルが,本屋で目にとまった。「技術力で勝る日本が,なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由」(妹尾堅一朗(著)2009年)。技術で勝って,事業で負ける。まさに今の自分ではないか! 技術開発だけに注力していても,報われない。その時はっきりと悟り,事業化に関する代表的な著書を読み漁ることになった。「イノベーションのジレンマ」(クレイトン・クリステンセン(著)1997年),「キャズム」(ジェフリー・ムーア(著)2002年),「イノベーションへの解」(クレイトン・クリステンセン他(著)2003年),「ブルー・オーシャン戦略」(W・チャン・キム他(著)2005年),「リーン・スタートアップ」(エリック・リース(著)2012年)など,いずれも原文(英語)と日本語翻訳版を購入し,事業でも負けないための基礎知識の習得を試みた。
このような取組みの後押しとして,会社からは研究成果を事業化へと導く各種研修プログラムを受ける支援をいただいた。例えば2011年に参加した大阪大学で開催されたThe Global Technology Entrepreneurship and Commercialization(略してG-TEC)という研修プログラムでは,海外候補顧客への電話ヒアリングといった営業トレーニングも科され,営業電話が苦手な私は正直しんどかったが,事業化に必要なマインドを叩き込まれた。また2012年には公益社団法人関西経済連合会が主催する「起業家精神涵養のための若手経営幹部候補米国派遣プログラム」に参加させてもらい,ベンチャー企業の一大集積地であるシリコンバレーを中心に現地訪問し,起業家やベンチャーキャピタルなどの支援機関と意見交換する機会をいただいた。2012年シリコンバレー現地で私がいただいた助言を集約すると,概ね下記の内容だった。
帰国後上記助言を踏まえ,早速事業化へのアプローチの軌道修正を試みた。まず,顧客価値・製品化という観点を見直した。エンドユーザーとなる顧客は化学会社が中心となるが,彼らのニーズは化学溶剤なりCO2など各種ガスの高効率な分離による省エネ化であった。これまで自身の専門の「ゼオライト膜」の製品販売にのみ注力していたが,顧客の観点に立てば欲しいのは効率良く分離すること,省エネ化が目的であり,分離膜の種類は手段でしかない。良く例えられる話として,ドリルを買う人はドリルそのものが欲しいのではなく,「穴を開けたい」という目的があり,顧客が本当に求めているのは製品そのものではなく,その製品で得られる結果や価値であるという考えがある。どのように進めれば真に顧客ニーズを満足させられるのか? ライバル視していた競合技術として「シリカ膜」という技術もあるが,顧客にとっては用途に応じて適した分離膜を提案して欲しいのではないか? もっと言えば分離ニーズに応じてそもそも膜分離ではなく蒸留や吸着などの選択肢もある。
顧客は必ずしも分離技術のプロではなく,単純に省エネ化によるコスト削減を期待している。「ゼオライト膜」や「シリカ膜」などの個別の技術的詳細情報の前に,どのようにするのが最も低コストですか? というシンプルな問いに対する回答を期待していた。そのため自身の専門の「ゼオライト膜」からナノ多孔性セラミック分離膜(ゼオライト膜やシリカ膜など)まで視野を広げ,顧客の分離ニーズをヒアリングし,ベストな膜分離プロセスと最適な分離膜を提案する必要があると思い至った。
顧客ニーズをヒアリングするうちに,当該市場状況が徐々に掴めてきた。まず,「キャズム」でジェフリー・ムーアが提案した分類によると,技術革新の普及における顧客層の違いを5つのカテゴリに分けて説明されている。
アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間には大きな「溝(キャズム)」があるとされ,この2つの層は価値観や購買動機が大きく異なり,この「キャズム」を越えることが,技術革新がメインストリーム市場に広がるかどうかの分岐点とされている。
なるほど,これまでアプローチしていた主要顧客は実績重視と言っていたが,これはアーリーマジョリティあるいはレイトマジョリティに分類される顧客だからであろう。それでは今はアーリーアダプターとなる顧客に焦点を当てて進めて行けば,突破口が開けるのではないか! 期待に胸を膨らませて取り組んだのも束の間,直ぐに新たな壁にぶち当たった。
ナノ多孔性セラミック分離膜を使ってみたいというイノベーターやアーリーアダプターに該当する顧客は,それほど苦労することなく見つかった。ただ会社としての反応は芳しくなった。当時はバイオエタノールの精製やCO2の分離回収と言った大きなテーマに関しては取組みやすかったが,個別の小さな分離案件には,着手が難しかった。1件で何億何十億も発展が期待できるテーマには人手は割けるが,1件で数百万から数千万円程度までの小さな案件となると,抱えるエンジニアリング部隊が大きくなるほど赤字となり採算が取れない。とは言え,1件何億円もする案件では,補助金が出るような特別な場合を除いて,実績がなければまず採用されない。小規模案件だと避けていては,いつまで経っても実績が蓄積されない。ただし会社規模が大きくなるほど赤字幅が大きくなる。もっと機動性良く動けないものか? そうだ,高い機動性が期待できるベンチャー企業やスタートアップと連携して進めよう! そこから候補となりそうなベンチャー企業・スタートアップを探し始めた。
2012年の年末から2013年の年始にかけ,私は連携候補となるベンチャー企業・スタートアップの探索を行うと同時に,社内ベンチャーの可能性を模索していた。当時クラウドやモバイル関連などのIT分野が活況であったが,素材・化学系ベンチャーで連携候補となるような会社を見つけることができなかったのだ。大学を退官した先生が立ち上げたベンチャー企業はあったが,お一人で活動していたこと,またご年齢を考えると例えば10年後の長期的な事業成長イメージを描くことができなかった。そのため所属する部署の担当役員に相談し,機動性良く動ける社内ベンチャーの設立を検討した。しかし大手エンジニアリング会社の判断基準で考えると,社内ベンチャーとは言え,会社として一定のコミットが要求されリスクを負うのであれば,GOとはならない。人・モノ・金が足りない。その通りではあるが,できない言い訳には,もううんざりしていた。日本の高度成長期を支えた大企業は,それこそ戦後の焼け野原の何もないところから目覚ましい成長を遂げているではないか!
今の日本は,何もないところから新規事業を創出することは本当にできないのであろうか? 実際にやってみて,検証してみよう。もう自分でやろうか。お世話になった会社の迷惑にならないように,きっちり引継ぎを行い,2013年9月末で大手エンジニアリング会社を退職した。
2013年10月1日,前職を退職した翌日に新会社となるイーセップ株式会社を設立・起業した。自己資本金300万円と従業員兼役員である自分一人からのスタート。事業内容に「膜分離システムの設計・開発・販売」を掲げ,支援機関の紹介により京都府けいはんなベンチャーセンターに活動拠点を置いてスタートした。「けいはんな(京・阪・奈)」とは,京都・大阪・奈良にまたがる研究都市で,産学官が連携し先端技術を開発し,自然と調和し,文化と科学の融合を目指している地域である。単純に科学だけではなく,「文化と科学の融合」と言うポイントが気に入って選定した。企業名イーセップ(eSep)には,目指したいコンセプトと願いを込めた。現在の化学・エネルギー産業では様々な省エネルギー対策が行われているが,全消費エネルギーの約40%におよぶ多大なエネルギーが化合物の‘分離’行程で費やされており,省エネルギー化のボトルネックになっている。現在の分離プロセスは大変複雑なものだが,これを“簡単に(easy)に,エコロジカル(eco)で,効率の良い(efficient)分離(Separation)を達成することで,お客様ニッコリ”の意を込めて,企業名イーセップ(smile by easy, eco, efficient Separation: eSep)とロゴマークを決めた。将来に対する不安も大きかったが,それよりも未知の分野にチャレンジできる興奮の方が優っていた。
創業から2–3ヶ月ほど経ったあたりから,一つの事実を強く認識しはじめた。それはいくら週100時間以上猛烈に働いたところで,一人の人間でやっていては時間がかかり過ぎるということだ。実際に起業して会社を運営してみると,事前に独学していた経営学以外にも,様々な知識・技能が必要となることを認識した。会計,税務,法務といった会社運営に必要な手続きに加え,実際に事業を推進するには電気工事,水道工事,情報通信システムの整備など,やらなければならないことが山積であった。自分一人で何十年もかけて頑張るよりは,自分とは異なる分野の専門家達と連携して事業促進した方が,遥かに進捗は早いし社会的意義は大きい。人,物,金の全てが足りない状況下で進めていくには,連携が突破口になる。よし,オープンイノベーションで行こう!
このような経緯から,当時ライバル視していた広島大学「シリカ膜」の研究グループとも共同して事業化を目指すことになった。私自身は元々「ゼオライト膜」を専門としていたが,「シリカ膜」研究・開発の第一人者である広島大学名誉教授の浅枝正司先生を最高(細孔)技術顧問としてお迎えして,ゼオライト膜とシリカ膜の両方の事業化に対応できる,ベンチャー企業を目指して活動した。
私自身,それまでゼオライト膜の開発に注力してきたため,学会発表でこそわざわざ自分たちの弱点は公表しないが,ゼオライト膜では対応困難な領域は自覚していた。例えば酢酸のような有機酸脱水用途では,ゼオライト膜の場合は耐酸性を高めようとするとゼオライト骨格中のアルミニウム(Al)の量を少なくする(Si/Al比を高くする)ことが定石であったが,高Si/Al比のゼオライト素材にするほど親水性が低下し,水の膜透過量が低下する。最も親水的なA型ゼオライト膜では酢酸でゼオライトが溶解してしまうため,モルデナイト型やZSM-5型の中程度のSi/Al比(5–20の範囲)で酢酸膜脱水にチャレンジしていたが,実用化を見据えると水の膜透過性能が要求性能の1/5–1/10程度までしか発揮できない。一方で,シリカ膜の場合は素材的にアルカリ性には弱いが酸性には強い。酢酸脱水の場合は水(0.30 nm)と酢酸(0.43 nm)での分子篩に加えて膜表面のシラノール(–OH)基に由来する高い親水性が期待できるため,シリカ膜で酢酸脱水性能を評価すると,ゼオライト膜研究者としては悔しい思いもあったが,素直にその分離膜の高透過分離性能に感銘を受けた。当時,ナノ多孔性分離膜の分野ではゼオライト膜に次いでシリカ膜の特許出願数および論文投稿数が多かった。NEDO技術戦略センター(TSC Foresight vol 14,2016年12月)資料によると,特許出願数はゼオライト膜とシリカ膜いずれも1990年代から増加しており,2012年では250を超えるあたりで推移・拮抗していた。一方で私が実際にシリカ膜を取り扱って感銘を受けた2014年時点では,特許出願数はゼオライト膜で300を超えていたのに対して,シリカ膜は200程度と停滞していた。またゼオライト膜はA型ゼオライト膜によるエタノール脱水や溶剤脱水など,既に大手化学会社やエンジニアリング会社で事業化されていたのに対し,シリカ膜はまだ大学の研究室レベルのサンプルしか提供されていない状況であった。「このような素晴らしい技術が埋もれてしまうのはもったいない!」。これまで競合となる技術ではあったが,所属が変わり立場が変わると,見える景色も異なってくる。このような経緯から,本格的に広島大学と連携してシリカ膜の事業化に取り組むこととなった。
シリカ膜の事業化に向け,当時立派な生産設備を導入するお金はなかったが,アイディアはあった。お金がないならないなりの戦い方はある。ない物ねだりしても状況は改善しないので,ある物をいかに有効に組合せて対応できるかがベンチャー・スタートアップ経営では重要となる。2015年,弊社ビジョンに共感いただいた他のベンチャー企業の経営者から,閉鎖して利用しなくなっていた食品工場を,格安で有効に活用して良いとの提案を受けた。場所は大分県国東。当時入居していたけいはんなプラザ内の京都府ベンチャーセンター内のインキュベーションルームでは,場所の制約からシリカ膜の製造はとてもできない。広大な工場跡地であれば,分離膜の量産化にも十分に対応できる。懸念事項は京都から大分国東までの移動時間とコスト。ただ都合の良いことに,けいはんなプラザからは関西国際空港まで直行のリムジンバス,更に関西国際空港から大分県国東まで直行の格安航空便(ジェットスター)もあり,いつでも空いていて移動は快適。これはチャンスだと即決して,同年6月には分離膜の量産化が可能な弊社工場を設立した。支援機関のサポートで展示会にも無料で出展させてもらい,ベンチャーキャピタルの目にもとまり,それほど苦せずして同年8月には初めての出資も受けた。京都(開発拠点)–大分国東(生産拠点)を中心に事業拡大。事業加速のため新規メンバーの雇用も増やしていった。そんな中,社内で衝撃のニュースが伝わる。「ジェットスター:2015年10月25日に大阪–大分(国東)線は運航終了」。“いつでも空いていて移動は快適”という時点で,なぜ気付かなかったのか! 当時は両隣の席が空いていて広くて快適と喜んでいたが,良く考えればそのような便は経済性が悪いので,廃止される可能性を考慮しておくべきであった。格安航空便がなくなると関空–国東への通常航空料金は3倍以上にコストアップ,最も安価なルートではフェリーで大阪南港–大分別府経由で京都–国東までの移動となるが,それでもコストは1.5–2倍程度となり,そして何より移動に半日以上と時間がかかり過ぎる。経済性・作業効率が当初見込みから大幅に悪化したため,苦しい撤退戦を余儀なくされ,2016年8月には大分国東工場は完全閉鎖することになった。創業時の1人ぼっちと比べると8名まで増えていたメンバーも,「将来が不安」ということでメンバーは自分を含めて2名まで一時的に激減した。
シード期の失敗を経て,手堅く進めることも意識するようになった。同時にシード期は大量離職も経験したため,採用する人材もそれまでの「来るものは拒まず」という方針から転換した。都合の良いことを言って近寄ってくる人材は,都合が悪くなるとすぐに離れていくのだ。順調な時にはなかなか見分けがつきにくいが,ピンチの時ほど人間性が出てくる。普段口先ばかり上手でもいざという時にすぐに他人のせいにしたり逃げ出す人材は,信用できない。逆に普段は口下手で自己アピールが苦手でも,問題に直面した時,不都合な真実を直視して真摯に改善に取組む人材が欲しい。
本社機能,製造機能,R&D機能を現在本社としているけいはんなオープンイノベーションセンターに集約し,チームビルディングの再構築を進めた。2017年4月には複数のベンチャーキャピタルからの出資を受け,更に同年5月にはNEDO事業によるベンチャー企業向けの技術革新支援事業に採択されたことで,資金的には完全に持ち直し,シリカ膜を中心に,事業化を大きく推進することができた。
2018年12月から,それまで手作業で製造していたシリカ膜を,ニーズ増加に対応するため機械化による完全自動製造にするための量産化技術開発を開始した。社内メンバーの専門は化学あるいは化学工学。手作業までなら分離膜の合成・製造に必要な化学や化学工学の知識だけでなんとかなるが,完全自動製造となると更に機械に関する知見も必要となる。社内で機械に詳しいメンバーは誰もいない。機械が得意そうな企業に相談しても,一製造ライン6,000万円から1億円程度の見積もりとなり,当時の予算目標であった2,000–3,000万円(一製造ラインあたり)を大幅に超過していた。その後支援機関の紹介で「試作」レベルということで製造ラインを当初予算で対応してもらえ,おおよそイメージ通りの製造ラインを構築してもらうことができた。手作業と同等,あるいはそれ以上の性能の分離膜を再現性良く製造することができたので,その成果を学会誌などにも発表した1,2)。京都府からの補助金支援もあり,シリカ膜量産化に関する開発を大いに推進することができた。一方で,構築した量産試作機での分離膜製造を進めるうちに,新たな課題が顕在化してきた。初期性能は良くても,起動停止を繰り返して何日も運転しているうちに,コーティング液を供給すべきノズルにナノ粒子が蓄積・堆積して,実際に供給されるコーティング液量が,ノズルの位置によって大きく異なってくる問題が発生した。こうなってくると,均一に薄膜形成させることが困難となる。大至急装置の改造をしてほしい。そんな中,2020年1月に新型コロナウィルス感染症が日本でも確認され,社会的な大パニックとなった。それまで1週間から1ヶ月程度で入荷できていた精密部品が,半年から1年半入荷できないという異常事態が発生した。大企業に勤める友人の中には会社を休めてゆっくりできるなど呑気なことを言っている輩もいたが,中小企業やベンチャー企業にとっては死活問題だ。財務体力が大企業と異なり潤沢ではない状況下,見込んでいた収入が入ってこない一方で,人件費や家賃などの固定費で毎月口座残高は無情に減っていく。更に海外への渡航も禁止となり,数千万円を投じて製作していた分離膜の実証試験装置も,プロジェクト自体が一旦中断となってしまい,予定していた海外サイトへの導入機会を逃してしまった。ああ,胃が痛い。周りのベンチャー企業経営者はどこも同じように苦慮していた。
2020年10月,日本政府は2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする,すなわちカーボンニュートラルを目指すことを宣言した。2021年4月には更に踏み込み,2030年度までに温室効果ガスを2013年度比で46%削減する目標を表明した。最近のNHK朝ドラからの名言を借りれば,まさに「絶望の隣は希望」。コロナ感染症の影響でそれまで進めていた開発・事業は大幅に遅れてしまったが,代わりにカーボンニュートラルを目指した新たな開発依頼が殺到した。2021年4月時点で12名(博士号取得者6名)だった会社が,ニーズ増加に対応するため,2024年4月には46名(博士号取得者16名)まで急増した。シリカ膜に加えて,特にCO2とグリーンH2からe-メタノールを高効率に変換するためのZSM-5型ゼオライト膜の開発依頼が急増した。メタノール合成の高効率化に向けたZSM-5型ゼオライト膜の開発は,実は私が学位を取得した研究テーマだった。他社は溶剤脱水用のA型ゼオライト膜やCHA型ゼオライト膜を事業化していたが,メタノール合成用途のZSM-5型ゼオライト膜はまだ事業化されていないということで,お声がかかった。
メタノール合成では,従来の化石資源由来の原料ではCOと水素の混合ガスである合成ガスを経由した合成(式1)がメインであったが,CO2を原料とする場合,式2–3を考慮する必要がある。
CO + 2H2 ⇔ CH3OH(メタノール)(1)
CO2 + H2 ⇔ CO + H2O(2)
CO2 + 3H2 ⇔ CH3OH + H2O(3)
一般的なメタノール合成条件(250°C,50気圧)においては特に上記(式3)が熱力学的平衡の制約を受け,CO2の平衡転化率は2割弱ほどしかない。反応分離場において原料であるCO2(分子サイズ:0.33 nm)とH2(分子サイズ:0.29 nm)を膜透過させずに,生成物であるメタノール(分子サイズ:0.38 nm)や水蒸気(分子サイズ:0.30 nm)を選択的に膜透過分離させることができれば,平衡のシフトによりメタノール単流収率の向上が期待できる。このような触媒反応と膜分離を一体化したメンブレンリアクターのコンセプトはメタノール合成系においては1996年から各種論文発表されていたが,既往の分離膜では耐熱性・分離性能が決定的に欠けており,メタノール合成系で所望の性能を実際に得ることができなかった。
私は2002年の学部4年から修士・博士・助手に至る2010年まで,早稲田大学(当時菊地・松方・関根研究室)にて一貫してメタノール合成向けのゼオライト膜の開発に没頭してきていた。ZSM-5型ゼオライトを膜材料に取り上げ,ゼオライトミクロ細孔内のNa+に対する水やメタノールの強い吸着を利用し,比較的高温でも機能する新規な脱水,脱メタノール膜を世界で初めて開発したことで,2008年に学位を認めていただいた。ただ当時はちょうどシェールガス革命により安価なメタンが普及・拡大していた時期だったため,わざわざCO2からメタノールを製造してどうするのだとあまり評価してもらえず,寂しい思いをしていた。それから10年以上を経て,状況は一変した。CO2の有価物転換という世界的なカーボンニュートラル化需要の高まりを受け,私は早稲田大学のシーズ技術であるZSM-5型ゼオライト膜を用いたメタノール合成用メンブレンリアクターの事業化を再開した。
京都府による補助金支援を受け,小規模試験(供給ガス流量1 NL/min,H2/CO2=3,250°C,50気圧)とは言え,実験的にメタノール単流収率を20%未満から75%以上まで大幅向上できることを実証した。今後膜透過分離性能を更に向上させることで,メタノール単流収率は90%以上にまで向上可能である解析結果も得ている。
2023年から2024年にかけシリカ膜・ゼオライト膜ともに開発・事業は順調に成長し,補助金支援もあり各種設備投資やスケールアップ実証のための開発投資を拡大していた。しかしここでも経験不足から,大きな見過ごしを犯してしまった。
2021年以降,事業会社からの出資・資本参加もあり,弊社の株価はどんどん高くなっていった。当時は単純に評価が高いことを喜んでいたが,そのことが2024年以降の資金調達で仇となった。開発が順調に進めば進むほどスケールアップ実証でより多くの資金が必要となる。一方で,株価が上がり過ぎると特に金融系のベンチャーキャピタルは投資のリターンが得られにくくなるため,出資しにくくなってしまう。出資相手が事業会社であれば事業シナジー重視のため必ずしも株価だけが投資の判断材料ではないが,事業化に必要な資金が大きくなるほど,1社でリスクを負わずに,複数の投資家による協調投資が好まれる傾向にある。億単位の資金が必要になると,事業会社だけでなく金融系のベンチャーキャピタルからの出資も必要との判断となった。
ここで,スタートアップやベンチャー企業の資金調達においては,資本政策といって調達する資金と経営陣の持株比率のバランスが非常に重要となる。単純に増資を繰り返し創業者含む経営陣の持株比率が下がり過ぎると,経営の意思決定に大きな支障が出る可能性が高くなる。例えば経営陣の持株比率が1/2を下回ると,単独では物事を決められなくなる。持株比率が1/3を下回ると,拒否権もなくなる。そうなると経営方針が大株主と異なってくると,最悪自分で創業・育てた会社から追い出され乗っ取られるといった事態もあり得る。そのため経営陣の株式比率をできるだけ高く維持する観点から,自社の株価が高くなることを全く問題視していなかった。当初2024年12月に完了させる予定だった資金調達は2025年3月になっても完了できず,予定していた資金が入らないために事業が大幅に遅延して,連携会社に大きな迷惑をかけてしまった。
株価が高いのであれば単純に株価を下げれば良いじゃないかと思うかもしれないが,物事はそんなに簡単ではないのだ。直前に出資を決定いただいた金融系ベンチャーキャピタルとの最終面談では,これまで株価は下がったことはなく,株主に損をさせたことは一度もありませんと豪語しており,実際そうだった。他の投資家が出資を躊躇する中,「社会に必要な技術だから」と漢気をみせ,応援の意味を込めて出資いただいたばかりだったのだ。結局のところ資金繰りが苦しくなり,株価を大幅に下げることで他の投資家からの出資決定には漕ぎ着けた。しかし高い株価でも出資・応援いただいた投資家には本当に申し訳ないことをしてしまった。担当者は私を信用して一生懸命応援・社内説得してくれたにも関わらず,出資後に株価が大きく下がってしまうと,担当者の立場はない。きっと社内で責められているに違いない。後日直接お詫びに面会した際,もちろん厳しいお叱りは受けたが,引き続き温かい応援の言葉をいただいた。自分の不甲斐なさ,悔しさ,担当者への申し訳なさで,平謝りしながら自然と涙が出てしまった。
以上,これまでの私の失敗談を,週末に少しずつ思い出しながら書き出してみた。ここでは記載しきれなかったが,思い返せば多くの方々に助けてもらい,ここまで進んでこられた。多くの支援者と出会いその想いを背負って進んでいくほど,何としてでも仲間や支援者の期待に応えようと,困難に直面しても立ち上がる気力と勇気が湧いてくる。おそらく自分一人でやっていれば頑張れないようなことも,人の想いに触れると頑張れたりする。ロボットではなく人が経営をやっているので,間違いもする。その代わりに,人の想い一つで損得関係なく相当に頑張れたりする。自分はこの先もまた困難に直面すると思うが,それはそれで楽しんで進めば良いのだと思う。ベンチャー企業・スタートアップは実際やってみてどうか? 上記の通り私はこれまで様々な失敗をしてきたが,それでも思う。「大変だが楽しい」。
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